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 戦争体験
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2012年7月15日(日)
  「ボ、ボクはいつも、あ、あいさつしています」―最近取材した「防災」がテーマの集会で、明らかに場違いと思われる発言をする青年がいました。が、司会者は「そうですね。災害時にはそんな付き合いが生きてくるんですね」とさり気(げ)なくも見事な返し=B他の参加者も、みんなにこにこ。何事もなかったかのように議事が進行するのを眺めるうち、胸が熱くなるのを覚えました▼「共生」や「自立支援」や「バリアフリー」がやたら強調される反面、実際の障害者の暮らしは心身共に苦しくなる一方ですが、そんな世の中でも、共通の目的を持てば「人はここまで優しくなれるんや、溶け合えるんや!」と感動させてくれた名場面でした▼折(おり)しも今号からはインターネットのホームページでの情報発信(希望者には実費で冊子提供)となりましたが、願わくば世界が、せめて港区からでも、あの集会のような温かな共生社会になっていくよう、引き続き力を合わせましょう!
2012年6月15日(金)
 「また来てるで」 と妻が手渡すメール便。通販大手からの誘いです。「何々?昭和天皇の時代…証言と映像で綴る激動の87年…か」 ―確かに我々中高年の心動かす企画が毎週のように届きます。こっそり購入して妻から 「それ何?」 「え、あの…」 てな経験もありますが、極貧下での投資を悔やんだ記憶はありません。特に冒頭のような歴史物は「戦争体験」 (毎号8面)聞き取りに欠かせぬ資料として重宝すると共に、丁寧な制作ぶりに「人に見せる物はこうでなかったら」と肝に銘じています。
  折しも、左に告知したように、諸般の事情で(要するに金が続かんということですが)、次号からはネット上のみで読んで頂くことになりますが、どんな形であれ 「人の目に触れる以上は地域に役立つ上質な情報を」 と気を引き締めています。
  とはいえ読者の支援あっての今日までの発行継続。昭和天皇ではありませんが、「忍び難きを忍んで」 の決断をどうかご理解願います。
2012年5月15日(火)
  任侠映画ではありませんが、「ようござんすか、ようござんすね」 と妻に伺いを立てつつ地域紙としての存続を賭けて打った勝負手、紙面カラー化とホームページ開設ですが、「紙面が華やかになった」(主に女性)「過去の『戦争体験』などを読み返せる」(主に中高年)と反響は絶大です。
  気を良くして今号も多色刷りを続けてみましたが、増大する印刷費に家族の反応は依然 「……」。正に 「色は匂へど散りぬるを…」 の心境です。
  一方のホームページは一読者の無私無償の協力で実現したもので、家族共々 「あっち(八幡屋方面)へ足向けて寝られへんなぁ」 と素直に喜んでいます。
  ともあれ何かにつけて不透明な世の中。「都構想」 とやらで港区の地名もどうなることやら。そんな中で最後に残るのは地域の真実。100年後、200年後にも 「港区ではこんな時代があったんや」 と読み返してもらえるような内容本位の紙面を―と改めて気持ちを、そして懐を引き締めています。
2012年4月15日(日)
 「♪芸のためなら―」 と女房を泣かしたのは初代桂春団治。さしずめ筆者なら 「色のために妻を泣かす」 ことになるのかも…。とはいっても浮気する訳ではありません。
 今号の紙面カラー化。長年の念願叶えりとはいえ、決断までには 「印刷代どの位アップするのん?」 「×万円ほどかな」 「それだけ広告増えるのん?」 「そら分からんわ」 「そんな見通しもなしにやるんかいな」 「うるさいなぁ、ええから金や、金持って来い!」 てな悶着もありました(最後の台詞はフィクションです)。いずれにしても読者の支援あってこその紙面刷新。心より感謝申し上げます。
 ともあれ限られた人生、金は有効に使うもの。しかも時代が進むほどに殺伐とし、聖書にあるハルマゲドン≠煬サ実味を帯びてきた昨今。本当に価値ある事業になら多少の困難も厭わず投資すべきではないか…。
 ということで妻に同意を求めました。「こ、これからもカラーで行くわな」 「……」。この続きは次号で。
2012年3月15日(木)
 「なんや息苦しゅうなってきたわ」 とはある町会長の弁。「大阪に住んでんのが嫌になってきた」 とも。もちろん橋下市長誕生後の話です。
 彼は我が母校の後輩でもあり、余り悪く言いたくはないのですが、あの速射砲みたいな “改革” が一体誰の為かが問題です。貫かれているのは結局、@財界への卑屈なまでの奉仕 Aそのため競争と脅しで市民や職員を動かそうという庶民蔑視 Bそうした実績で名を残そうという利己主義−つまり旧来政治の徹底版です。中でも A は超合金並みの硬度。確かに人間はアホな所もありますが、世の為なら命も投げ出す気高い面も併せ持っています。そこに狙いを定めて政策を立てたらどれだけ心豊かな社会になるでしょう。
 庶民に 「息苦しい」 などと感じさせる施政は地震・津波・原発事故より有害です。@庶民に奉仕 A人の善意を促進 B謙虚で利他的な姿勢−への根本転換こそ 「維新」 の名に相応しいと思うのですが、どうでっしゃろ。

2012年2月15日(水)
 パソコンが止まって十二時はどうなるかと、いや一時はどうなるかと焦りましたが、近くの 「パソコンレスキュー隊」 に駆け込み、二日がかりの親身のサポートで窮地を脱しました。同じ頃、妻の持病が再発し、区内の医院の巧みな治療でほどなく日常を取り戻すことが出来ました。新年早々夫婦でえらい目に遭いましたが、何につけ “遠くの大病院より近くのかかりつけ医” を実感させられた数日間でした。
  が、社会総体はその逆へ流れているようです。右を向いても左を見ても、よその地域や国にまで手を伸ばして大儲けを図る動きばかり。貧乏人の僻みか、「そんなに稼いでどうすんねん」 とちょっかいも出したくなりますが、一度(ひとたび)競争に敗れたら損失も馬鹿でかいようで(パナソニックを見なはれ)、そんな修羅場へ踏み入ろうとは死んでも思いませんな。
  それはともかく、近所の有難味は改めて身に染みました。これからも半径1キロの世界で満足します。ハイ。

2012年1月15日(日)
 「この柿、イスラエル産て…大丈夫やろか…原爆…」 「あ、これ間違い(と商品札を手で隠しながら)、国産です国産」 「あ、そう、ほなら買お」 ―こんなけったいなやりとりが年末、区内の青果店であったと妻が話してくれました。
 @放射能を言うなら核保有国のイスラエルもさることながら今の日本の方が深刻ではないか Aそもそもイスラエルで柿が採れるのか(実は採れる) B放射能への心配がなぜ国産への信頼に替わったのか−など湧き上がる疑問の数々。にも拘わらず取引が成立したのは、@相手を無条件に信用する客の人の好さ A並べた品は是が非でも買って貰おうという商人の逞しさ―といった情の部分が理屈を上回ったからでしょう。下町ならではのやりとりに思わず笑ってしまいました。
 が、そんな庶民の良き曖昧さをいい事に、ムードで我が町の形を強引に変えるのは笑って見過ごす訳にいきません。大いに疑ってかかりまひょ、「都構想て…大丈夫やろか」 と。
2011年12月15日(木)
 銭湯がまた一つ消えました。市岡元町の抱月(ほうげつ)温泉。「老朽化した罐(かま)を更新する余力がない」 と先月下旬、惜しまれつつ歴史を閉じたのです。3月には築港温泉が同様の理由で廃業。市岡では罐を入れ替えたばかりの扇(おうぎ)温泉が主人の体調不良で休業。夫人が書いた 「主人は必ず元気になって帰ってきます」 との貼り紙が胸を打ちます。ぜひ健康を回復し、「軟らかくて湯冷めしない」 薪のお湯にもう一度浸かれる日が来ることを願っています。
 とはいえ、そんなこんなで、かつては港区に30を超えた銭湯が今では12。@広い湯舟に浸かると出るアルファ波は心身に最良の薬 A水や火を皆で使うのは最高の省エネ B裸の触れ合いは日本の伝統文化―と多くの学者が指摘するように、長時間重労働に耐えながら、文句なしに地域貢献するこんな業界にこそ支援が必要。新しく選ばれた市や府のトップはその辺をよく考えてほしい。そして皆さん、週1回位は銭湯へ行きましょな!
2011年11月15日(火)
 「今笑わないと笑う時ないですよ」 とは、ある漫才コンビの人気ギャグですが、「今使わんと使う時ないですよ」 と言いたいのがアメリカ国債です。
 「大震災からの復興には3.5兆円が必要」(12年度予算概算要求)との求めに著名人らが 「財源は所得・法人・消費税の税率引き上げで」(復興構想会議)と応じ、首相も 「国民の皆様に一定のご負担を」(所信表明)と調子を合わせました。本当にそれ以外に財源が 「ない」 のでしょうか。
 実は、@政府が倉庫に積み上げている80兆円もの米国債を売る A大企業が溜め込んでいる220兆円もの内部留保を吐き出してもらう B毎年7千億円もプレゼントされる在日米軍駐留経費(思いやり予算)を止める―。これだけの “処方箋” を手にしながら、乏しい懐から3千億円もの義援金を差し出した国民に一層の負担を強いるとは、一体どこの国の、誰のための政府なのでしょう。
 今怒らないと怒る時ないですよ、ホンマ。
2011年10月15日(土)
 「触ったら5万円!」。思わず手を引っ込める女性客。ある青果店での一幕です。秋の味覚、松茸が出回っていますが、庶民にはやはり高嶺の花。「せめて手にとって匂いだけでも…」 と思った所へ絶妙のタイミングで飛んだ一喝。発声源である店主は店の一角に座り込んで果物の仕分けなどに余念がないようでしたが、どっこい店内の様子もしっかり視野に入れていたのでしょう。「買ってほしいが、触られたら大事な商品が台無しになる」 ―そう直感しての、具体的で、ユーモアを含んだ、躊躇なきパフォーマンスに、これぞプロの技!と唸りました。
 恐らくこんな光景は、高級住宅地や大型店では見られない港区の地元店ならではのもの。それでも、買い手と売り手が声を交わし、笑い合い、時には丁々発止の駆け引きをする―そんな場面が港区でも年々減っていくのは寂しい限りです。
 「触ったら5万円!」 はそんな流れに抗する港の商人の心意気にも聞こえました。

2011年9月15日(木)
 筆者の一日は卵ご飯で始まります。それも胡麻・雑魚(じゃこ)・刻み葱をたっぷりかけた特製。@栄養 A美味 B妻の手を煩わさず ―と三拍子揃った理想の朝食と自負しています。毎日でも飽きないのはやはり日本人には米食が合っているからでしょう。
 ところで今、その米など日本の食材が危機に瀕しています。減反政策で作り手が減り続けている米。スーパー中心の流通で養殖物が幅を利かせ、旬がなくなってきた魚。反捕鯨団体の妨害で捕ることさえ覚束なくなった鯨。どれも昔から日本人に不可欠の活力・蛋白源で、その生産や捕獲での協働を通じて地域社会も形成されてきました。
 折しも農漁業などの解体が必至のTPPを 「平成の開国」 などと称して受け入れる動きに対し 「日本を守れ」 の合唱が起こっています(2面 「叫んでいいとも」 参照)。それで妻に言いました。「俺も日本の食を守るため卵ご飯を守り抜くぞ!」 「ふ〜ん、その食材を誰が毎晩準備してんのや」 「……」

2011年8月15日(月)
 戦艦大和の生き残り兵を訪ねたら、既に語る体力を残しておられず、知覧特攻基地近くで終戦を迎えた高齢女性は取材直前に入院―。「戦争体験」(8面) の語り部探しが難航し、毎号綱渡りの編集が続いています。
 戦後も66年。当然といえば当然ですが、それでも 「平和のため」 「次の世代のため」 と、戦地体験を持っておられそうな超高齢者を見れば声をかける今日この頃。この世代がまるで宝物のように見えてくるから不思議です。
 というより実際、戦中世代は地域の宝に違いありません。その頭の中には戦闘や空襲の映像のみならず、今の日本で薄れつつある祖国愛や郷土愛、同志愛、忍耐、自己犠牲などが生き生きした姿で詰まっているからです。悲惨な戦争実態と共に、こうしたものの価値を浮き上がらせることも 「戦争体験」 欄の役割だと思っています。
 終戦記念日にあたり、戦地、中でも悲惨だった南方戦線の証言を求めています。お知らせ下さい。

2011年7月15日(金)
 自転車でカンパ届け、広告や振込で応援、投書で激励― 「本紙存続へカンパの訴え」 への引き続く反応の数々。その都度まるで合言葉の如く発せられた 「港新聞の灯を消さんといて」 の声。共に紙面を作ってきた同志のような感情が通い、胸が一杯になりました。
とはいえ読者に心配をかけるとは新聞失格。何とか自力でと努力を続けています。その一つが自力配布。本紙を脇に区内を巡ること月に数日。一日の移動距離は40キロに及びますが、若い頃フルマラソンで鍛えた足腰が生きています。
 それでも真夏はさすがに苛酷。そんな時思い出すのが 「戦争体験」。とりわけ今なら揚子江沿い40日行軍に耐えた藤田尚さんの中国戦記(8面)です。
 加えての叱咤が東北の苦境。港消防署員の体験(1面)には身を引き締めずにおれません。
 そして取って置きの活力剤は読者の後押し。本紙存続を願う無数の熱き声が、疲れた足を運んでくれるのです。これは効きまっせ!

2011年6月15日(水)
 「港新聞の灯を消さないため、わずかですが振り込んでおきました」 ―前号から掲載の 「本紙存続へカンパの訴え」 に対する反応の数々。取材現場でのカンパ、難病患者からの現金郵送、広告契約での応援、更には運営形態への親身の提言も。勿論、これまで通り熱心に読み、投書や情報提供で支えて下さる無数の読者にも感謝、感謝です。
 とはいえ、不景気に加えて震災募金で財布も軽くなりがちな中、そんな貧者(失礼!)の一灯に甘えてばかりもおれません。「こんな時こそ」 と幾つかの支援制度も探ってみました。
 最初はどの窓口も 「それなら廃業しかないのでは…」。が、紙面を見てもらううち 「地域貢献」 という発行目的への理解、そして一定の援助も得られそうな雰囲気に―。真摯な対応にこちらも胸が熱くなりました。
 不況下で苦しむ自営業者ら全ての区民を代表してのこの挑戦。結果はどうあれ、共に紙面を作ってきた読者の熱き心の後押しを感じています。

2011年5月15日(日)
 今年も我が家の外壁を瞬く間に蔦(つた)が覆い尽くしました。「これが1万円札やったら…」 「鑑賞料もらおか」 などセコい考えも芽吹く今日この頃ですが、それはさておき、確かに植物というのは金をほとんどかけず生長・繁殖してくれる非常に有り難い存在。昔の日本人はそれをフルに生かし、何不自由なく暮らしていました。
 変じて今は電気なしには一日も持たず、石油に天然ガスにウラン − と金も手間も迷惑もかかる燃料を義務の如く使い続けています。その好例が、孝行娘から半ば強制的に飲まされる 「水素水」。「悪玉活性酸素を洗い流してアンチエイジング」 は良いとして、飲む度に特殊アルミ容器という不燃ゴミが溜まっていくのです。
 「体に良うても地球に悪いやろが」 「体の方が大事やろが」 と親子論争にも発展していますが、一事が万事、現代社会の大量消費・大量廃棄はいよいよ大河の流れ。未だ深刻な原発災害がその歯止めとなってくれる事を祈るばかりです。

2011年4月15日(金)
 「美人の粧(よそお)った顔のように美しい」 と松尾芭蕉が 『奥の細道』 で絶賛した松島。民謡 『大漁唄い込み』 に登場する瑞巌寺や日和(ひより)山。森進一 『港町ブルース』 の舞台となった宮古、釜石、気仙沼。それらが巨大地震と津波で変わり果てた映像は衝撃でした。
 が、この三陸沖には869年、1611年、1677年、1763年、1856年、1896年、1933年―と巨大津波が襲来。第二次大戦末期には宮古、釜石、仙台などが米軍の無差別爆撃で壊滅。それでも人々は不屈の営みで郷土の海岸線と街並みと産業を甦えらせました。
今回の大震災でも、家や肉親を失いながらも気丈に助け合う被災者の姿が津波にも勝る感動と支援の波を呼び込み、港区民もその流れに加わっています(上に記事)。
 まさに 「国破れて山河在り」、そして 「山河崩れても人在り」。戦争にも自然災害にも、そして最後の敵である原発災害にも、どれほど時間がかかろうと、東北は打ち克つでしょう。

2011年3月15日(火)
  「小さい頃から賭事(ギャンブル)に慣れて勝負師にならんと世界に勝てない」とはカジノ誘致を都知事と競う府知事の弁(昨年10月)。「経済の起爆剤」 にするため大阪湾岸にカジノ付き行楽地(リゾート)を造るとか。こんな動きを後押しするのが政府。その行政刷新会議が1月、TPP参加のためと 「カジノ合法化」 を提言したのです
  日本では古来、賭博(とばく)は人心を蝕む行為として厳罰の対象とされてきました。一変したのは戦後。欧米を手本に競馬・競輪・競艇・オートレースと世界に冠かんたるギャンブル大国に。港区でも依存症による家庭崩壊が後を断ちません。その挙句が国による博打(ばくち)のすゝめ≠ニは、福澤諭吉さんも 「俺の札に泥を塗る気か!」
  いくら学校で勤勉や助け合いを教えてもこれでは焼け石に水。八百長相撲を叩きながらこんな亡国政治に口を噤むマスコミも頼りになりません。こうなったらあの米国お抱え大統領を叩き出したエジプトみたいな民衆運動に賭けるしかない?

2011年2月15日(火)
 「山の上の雪だけが、灰色の空から牙(きば)のように白く出ていた」 ―失踪した夫の行方を求めて北陸路を訪ね歩く新妻の行動と心理を描いた松本清張 『ゼロの焦点』。その舞台となった能登半島の出身者が銭湯や豆腐店の経営者に多いと知ったのは最近のことです。
  ある銭湯の主人によると、戦後大阪に出た同郷の人たちの間で助け合いや暖簾(のれん)分けが行なわれ、自然とそうなったとか。港区内の銭湯経営者も大半が石川県出身だそうです。
  珠洲(すず)、輪島、穴水、七尾(ななお)、和倉、羽咋(はくい)―と地図を辿ってゆくと、清張が描出した北国の重い空、そしてその下での人々の実直な暮らしぶりが浮かびます。思うに豆腐作りや罐(かま)焚きという苛酷な仕事に耐え得る粘り強さはそうした故郷の厳しい風土から生まれたものでしょう。
  中でも銭湯業者の長時間重労働は前号で紹介した通り。その絶妙に加減された湯には、港区と北陸の戦後の歴史がいい塩梅(あんばい)に溶け合っているように思えてなりません。
2011年1月15日(土)
 「鼠が溺れてる!」 との息子の声で廊下に飛び出し、バケツを提さげて百メートル先の安治川へ走りました。「もう戻れんやろ。ここで大人しく暮らせ!」。堤防下の床にザザッとぶちまけると鼠は暫く失神していましたが、やがてよろよろと冬の闇へ消えて行きました。
  昨春この欄で紹介した鼠除けの音波発信器はその後役立たずになり、再び共存が始まったのですが、金も手間も猫の手も不要な退治法として水に米粒を浮かせたバケツを置いたところ、夏以来3匹が掛かったのです。同様の悩みを持つ家庭にもお勧めです。
  ところで鼠を川に放り込まなかったのは何故かて? そら思いやり≠ナすがな。なんか米軍への 「○○予算」 を連想しますが、野蛮でど厚かましい米軍と違って鼠は無邪気。思いやりのかけ甲斐がまるで違います。ただこれには限(きり)がないのが難点。なんせ追放しても追放しても子孫を残していくもんですから…
  卯年の初めにこれまた無粋なお話でした。
2010年12月15日(水)
 「事業仕分け」 が今秋も精力的に行なわれました。確かに無駄をなくす必要は分かりますが、本当の無駄(米軍への 「思いやり予算」 など)には初めから手をつけず、国民生活に必要な分野にまでメスを入れまくるのは頂けません。そこでお手本に我が家の仕分けの一端を―
  何かと経費がかさむ年末年始に頭の痛いのがお年玉。「ただ額を減らすだけでは能がない」(妻)ということで2年前から採用しているのがクイズ形式。親戚の子らに「一問○円」で答を競わせるのです。その際、全問正解されても賞金総額を例年のお年玉総額より少なくしておかないと意味がありません(せこ!)。それでも子供らは知的ゲームを楽しみながら達成感やお金のありがた味を感じ、こちらは感謝されながら節約もできる― 一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなる行政刷新≠ェ実現するのです。
  どうです? え、毎月貧乏くさいネタばっかり出すなて? えらいすんません。
2010年11月15日(月)
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2010年10月15日(金)
 今も笑えて仕方ありません。盲導犬チャリティ(6面)で漫才を披露した敏江・玲児コンビの敏江さん。出演者が揃そろった大団円(フィナーレ)で一人だけ客席から悠々と現われた男性歌手に彼女が 「はよ来いや」 と急(せ)かせた時、会場は爆笑に包まれました
  @脚光のさ中に冷水≠浴びせた意外性 A大の男を女性が凹ます痛快さ Bいい歳の女性が見せた悪ガキ的な乱暴さ―等がその理由でしょう。無論そんな計算を彼女がした筈はなく、芸人としてのキャリアが反射的にあの言葉を吐かせたのでしょう。
  とはいえ一つ違えばトラブルに発展し兼ねない暴言=B本人同士も笑い合い、会場も大爆笑という最高の形にできたのは、何より言葉の底に人への信頼と情が感じられたから。苦労続きの彼女の人生が生んだ名ギャグでした。
  「貧困撲滅」 「環境保護」 など口は上品だがやる事は品格なき世界の指導者に、あの場面をビデオに収めて届けたい。「はよ変われや」 との圧力と情を込めて―。
 
 
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