精密部品加工 |
花田工作所 花田文男さん (波除2、73歳)…
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体で覚えた機械操作
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「体が続く限り弟と2人で頑張るわ」と超精密加工を続ける花田文男さん。ロケット部品製作の技は健在だ |
人工衛星打ち上げロケットの部品を昭和62年に製作した花田文男(はなだ・ふみお)さんを工場に訪ねています。前号では超高熱・高振動に耐え抜いた「燃料噴射弁体」の製作工程などを語ってもらいましたが、さて今回は―。
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花田さんは昭和13(1938)年、兵庫県尼崎市に生まれ、太平洋戦争さ中(なか)の昭和19年に鹿児島県へ疎開(そかい)、そこで終戦を迎えました。物作りや機械いじりが好きだったことから、中学卒業後は上阪してバルブ製造工場に就職しました。
◆先輩にどつかれながら
従業員15〜6人の小さな職場で、「先輩にどつかれながら」旋盤(せんばん)(工作物を回転させ、往復台の上に固定した刃を前後左右に動かしてこれに当て、切削する工作機械)やフライス盤(円筒形の刃を回転させて、平らな板に溝掘りや穴開けを施す工作機械)の操作を覚えました。工員がまだ「仕上げ師」などと呼ばれて重宝(ちょうほう)されていた時代で、若い花田さんも辛(つら)さを忘れ、「これで身を立てよう」と必死でした。5〜6年して退社する時、同僚が「餞別(せんべつ)や」と測定器具をプレゼントしてくれたそうですが、今もその光景を思い返す度に、当時の厳しくも温かかった生産現場の空気が甦(よみがえ)り、胸が熱くなるといいます。
その後、搾油(さくゆ)機製造会社、電気製品製造会社などへの転職を経て昭和43年に30歳で個人創業。港区弁天に工場を構えました。その後、工場を田中に移し、昭和57年には現在の波除に移転。その間の昭和53年ごろから弟の和美(かずみ)さんが仕事を手伝うようになりました。
◆超高速回転の撹拌機
現在保有している主な工作機械は旋盤4台、ボール盤2台、アーク溶接機1台。これらを駆使して、撹拌(かくはん)機やポンプの部品、バルブ製品(弁体や弁棒)などを手掛けています。
中でも化粧水・塗料・薬品・食品などの製造に使われる高性能撹拌機は、原料を毎分1万回転という超高速で撹拌して超微細(びさい)な粒子にするため、そのシャフトには薬品や物理的力に強い最高級ステンレス(ステン316L)などが使われ、それを研磨(けんま)機などで超滑らかに仕上げる必要があるといいます。
小ロット・短納期ながら、こうした精密で特殊な仕事の注文はまだまだあるとか。ロケット部品を手掛けた技術が今も生きていることが感じられました。
◆体が続く限り頑張る
一人娘を嫁がせ、今は妻と2人暮らしの花田さん。「同級生はみな年金生活やけど、こっちは年金も少ないし、まだまだ遊んでられん。弟と2人で体の続く限り頑張るわ」と笑います。
「それにしても日本はどうなる。人件費が安いからと生産をどんどん海外へ移して、仕事はないわ、物は売れんわ。国民はもっと声を上げて国のやり方を変えささなあかん」。長年、地域の中小零細業者運動にも携(たずさ)わってきたという花田さん。眼鏡(めがね)の奥がひときわ強く光りました。(終わり)
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花田工作所 営業内容は精密部品加工一式。所在地は波除2‐6‐15、電話6583−5892