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焼け野原に山積み遺体 6月空襲は機銃掃射の恐怖 宇賀 久美子さん(弁天)(82) <中> 父は私たちを壕へ放り込むと、すぐ引き返しました。我が家と隣家は焼夷弾の直撃で一旦は燃え上がりましたが、父ら警防団員の必死の消火活動で、辛うじて消し止められました。 ◆真っ暗な壕の中で 一方、私たちが退避した防空壕は、今の夕凪交差点から港南中までの途中に今もある中本酒店から市岡側へ少し入った所にありました。ただの穴といった感じで、細長くて天井が低く、真っ直ぐ立つこともできず、そんな中にほとんど女性ばかり10人以上がひしめき合っていました。 入り口付近にいると「奥へ入り」と言われ、入口を閉めると真っ暗で、灯りは懐中電灯だけ。爆撃が過ぎるまで「怖い、怖い」とただ震えていました。壕の中には食糧も水もなく、喉がからからに乾いてとても辛かったのを覚えています。 ◆地獄のような光景 翌日、辺り一面は焼け野原で、「中町会全滅!」などの声が飛び交っていました。そんな中で、焼け残った杉村倉庫から、どういう訳か、大量の砂糖がどろどろと流れ出ていました。食糧難の折、砂糖はとても貴重だったので、皆が我先に拾いに走ったのを覚えています。 衝撃的だったのは、黒焦げで男女の区別もつかない遺体が大八車に乗せられ、電車道(みなと通)の方へ引かれていく光景でした。ある車には5〜6体が、別の車には数えられないほどの遺体が山積みになり、その中から、まだ息があるのか、「殺してくれ〜」と叫ぶ男の人の声が聞こえました。そんな地獄のような有様を見て、どこかのおばさんが腰を抜かしていました。
◆米機に逃げる間なく |
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