戦争と原発災害を重ね
今年も「語る集い」に参加を
今月の提言者 高橋健治さん(57) /NPOみなと
(2011年7月15日/143号)
東日本大震災発生と同じ3月、「大阪空襲」 の写真集が出版されました。カラーとモノクロの違いを除けば大震災の報道写真と見事に符合しました。これは単なる偶然ではなく、何かに 「破壊し尽くされた」 光景というのはかくも酷似するものかと驚かされた次第です。
◆崩壊した安全神話
この大震災では今に至るも正確な犠牲者や行方不明者の数が判っていません。公共機関が丸ごと被災し、様々の原簿がなくなってしまったことなどを勘案すれば、ある程度時間がかかるのもうなずけます。
しかし、こと福島原発事故に関しては、その被害状況や放射能拡散に対する東京電力、原子力委員会、政府の杜撰(ずさん)さは呆れるばかり。発表の内容が日々変わり、2カ月以上も前に分かっていたことを今更のように発表し、挙げ句に、原発の 「安全神話」 が完全に崩壊したにも拘かからわず、未だに 「安全確保」 「運転再開」 にしがみつくその姿勢はまるで戦中の 「大本営発表」 を想起させ、良識ある国民には信じ難いものとなっています。この文章が読まれる頃にはまた事態が大きく変わっているかも知れません。
◆「核」 汚染の恐ろしさ
原子力は極めて危険なエネルギーです。戦争で使用される 「核」 と同様、「平和利用」 される 「核」 も、事故が起これば同じ悲惨な結果を招きます。つまり広島、長崎と同じ被爆が今、福島でも起こっているのです。
この核による汚染は全くといっていいほど防ぐ手立てがありません。無味無臭、色も温度も日常と変わらない間に拡散するのです。6月20日の朝日新聞一面トップ記事は、「イラク核汚染の影」 の見出しで、イラク戦争の時、「核」 に無知だった村民が近くの核施設から容器を持ち出して貯水タンクなどに使った結果、8年を経て癌が多発している現状を報道し、核汚染の恐ろしさを告発しました。
◆核に 「ノー」を!
この点で注目すべき作家がいます。村上春樹氏です。「私は壁にぶつかって割れる卵の側に立つ」 旨のスピーチを、「壁」 つまりイスラエルのお歴々の前で行なったのは有名ですが、今年のスペインでは福島事故に触れ、日本政府の杜撰さを指摘すると共に、「我々は核に 『ノー』 を叫び続けるべきであった」 「『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから』 という原爆慰霊碑の碑文をもう一度心に刻まねばならない」 旨のスピーチをしたのです。
◆戦争も原発も人災
戦後66年。広島、長崎の二次被爆者の救済問題も未だ解決していない中で起こった福島原発事故。これも明らかに人災であり、「ヒロシマ」 「ナガサキ」 に次いで 「フクシマ」 が世界語になったのも当然のことと思われます。
そんな中、今年も私たちNPOみなとの主催で 「大空襲の体験を語る集い」 を開催します。同じ人災である戦争と原発事故を重ねながら、平和で安全な未来を築くため、共に体験を語り、意見を交わそうではありませんか。