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 未曽有の不況に加えて円高や生産の空洞化で地域経済はさらに落ち込み、私たち庶民はその影響を最も深刻に受けています。そんな中、「自分のため、家族のために今頑張らな!」 と奮闘する家族を追うシリーズ。
  今回は、借金返済へフル回転の中でも 「一人ひとりの幸せ」 という目的を見失わず、仕事にも誠実を貫く白濱一家を訪ねました。困難の形は違っても、それに立ち向かう気構えや工夫などが参考になれば幸いです。
                 
弁天の白浜一家
    
「目的は1人ひとりの幸せ」 と今を頑張る白浜さん一家(昼間、弁天のクリーニング工場で)
        
クリーニングに居酒屋に
4人終日フル回転
目的は一人ひとりの幸せ

超ハードな日々
  白浜一家の一日はざっと次のようなものです。
  主人の白浜等さん(57)は朝8時にクリーニング工場に入り、アイロン・仕上げ・しみ抜きなどに携わった後、夕方から夜12時頃まで居酒屋で仕事。妻の優子さん(53)も朝9時半から午後4時頃まで工場や店で働き、合間に洋服のリフォーム。夕方から12時頃までは居酒屋で料理などに携わります。次男・卓司さん(28)(別世帯、妻と子供1人)は7時に工場に入り、昼過ぎまで洗いや仕上げ。午後は納品や得意先訪問、夜は工場で明日の準備など。三男・聖人さん(25)は朝9時に工場に入って配送や仕入れ、ワイシャツ仕上げなど。夕方から12時頃までは居酒屋で仕込みや調理に携わります。
  なぜ家族揃ってこんな超ハードな日々を送ることになったのでしょうか―。
   
苦しみの始まり
 等さんは高級品専門クリーニング会社の社員でしたが、33年前、「自分で納得のいくクリーニングを」 と脱サラを決意。昭和57年、西区堀江の自宅マンションを拠点に、優子さんと夫婦で独立開業しました。10年ほどは 「とんとん拍子」 でしたが、安さを前面に出したチェーン店の影響もあり、徐々に景気が悪くなっていきました。
 平成7年、弁天に工場兼自宅を持ちました。当初は西区のマンションと店舗を売り、頭金にするつもりでしたが、マンションは売れても店舗は売れず、やむなく堀江店はそのまま続けることになったのです。つまり土地・建物・機械のローンが二重になり、これが苦しみの始まりとなりました。

さらに投資重ねる
 それでも 「息子が家業を継ぐと言ってくれた」 のを励みに、さらに投資を重ねました。堀江店に多額の改装費を投じ、その分売上を増やさなくてはならず、1年後には国金から多額を借り入れて磯路2丁目にも店(クリーニングベスト)を出しました。そうして10年ほど頑張り、平成19年、売り値は安かったものの堀江店を手放しました。
 一方、優子さんは堀江店の頃から裁縫の腕を生かして洋服リフォームもしていましたが、丁寧な仕事ぶりに、港区へ来てからも注文が切れなかったそうです。

いそじ屋オープン
  平成20年2月には磯路に居酒屋 「いそじ屋」 を開業しました。「少しでも借金を減らそう」 「そのために空いている夜の時間を活かそう」 と話し合った結果でした。簡単な肴程度で始めましたが、常連客の要望に応えるうちに 「本格的な料理を」 ということになり、クリーニング一筋で生きてきた等さんも一緒に頑張りました。
  1年後にはランチも開始。家族が玄米食で健康を維持していたこともあり、「これを皆さ
んにも」 と優子さんがプロから玄米の炊き方を教わり、一汁三菜の日替わり定食を出したのです。これは人気を呼び、「毎日通うお客さんが何人も」 いました。
 ランチを始めてからリフォームを休みましたが、「いつからやってくれるの?」 との声が相次いだので、今年2月にはリフォームを再開、ランチを休みしました。が、今度は玄米定食ファンから 「いつ再開するの?」 と突(つつ)かれているそうです。

全員が国家資格
 現在、クリーニング業は等さん、優子さん、卓司さん、聖人さんの4人が担当。長男耕平さん(30)(別世帯で妻と子供1人)も含む全員がクリーニング技師の国家資格を持っています。親子2代に亘る拘りは、「一点一点異なる素材や汚れに応じた洗いと手仕上げ」 「高価な無臭性高級溶剤の使用と管理(蒸留)」 です。「手間はかかるが衣服を良い状態で長持ちさせるためにこれは譲れません」 と等さん。
 一方の居酒屋 「いそじ屋」 は等さん、優子さん、聖人さんが担当。料理の美味しさや家庭的雰囲気と共に、古いポスターや昭和製品などを飾ったレトロムード溢れる酒場として人気を広げています。

チームシラハマとして
 それにしてもフル回転の4人。毎日をどんな姿勢で送っているのでしょう。家族や仕事、地域への思いなどを訊いてみました。
 「クリーニングや居酒屋は手段で、目的は一人ひとりの幸せ。これに向かって今チームシラハマ≠ニして頑張っているということ。借金返済はその過程でのハードルです」(等さん)
  「家族が横並びで働ける今の時間にも幸せを感じますが、やはりこのままでは無理が来るので、少しずつでも仕事量を減らして親に楽をさせたい」(卓司さん)
  「今は技術だけ、値段だけでなくトータルでの満足が求められています。肝心なのはクリーニング店も居酒屋も 『また行きたい』 と満足して頂くことです」(聖人さん)
  「港区は人の繋がりが生きている地域。それは西区から越して来た私たちだからこそ分かること」(優子さん)
  「この地財≠生かせば港区の人もお店もまだまだ元気になれるのでは」(卓司さん)
          ◇
 ―取材の中で聖人さんがふと漏らした 「ごまかしができたらどんなに楽かと思うけど…、それが出来んのがうちの家族」 との一語が耳に残っています。そうした誠実さは、逆境の中でも夫婦から息子たちへと確かに受け継がれているようです。
 一家を楽器に譬えれば、さしずめバイオリン。「誠実さ」 という胴に四本の弦 ― @哲学とロマン(一人ひとりの幸せのために今を頑張る) A協力と団結(何でも相談し協力して進める) B自由と個性(一人ひとりの思いや持ち味を生かす) C知性と柔軟性(的確に状況をとらえ臨機応変に行動する) ― が張られ、それらが現代の苛酷さに擦られることでいよいよ爽やかな音色を奏でている ― そんな風に感じられました。
   
2010年11月15日(135号)

 
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