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未曽有の不況に加えて円高や生産の空洞化で地域経済はさらに落ち込み、私たち庶民はその影響を最も深刻に受けています。そんな中、「自分のため、家族のために今頑張らな!」 と奮闘する家族を追うシリーズ。 今回は、借金返済へフル回転の中でも 「一人ひとりの幸せ」 という目的を見失わず、仕事にも誠実を貫く白濱一家を訪ねました。困難の形は違っても、それに立ち向かう気構えや工夫などが参考になれば幸いです。
◆超ハードな日々 白浜一家の一日はざっと次のようなものです。 主人の白浜等さん(57)は朝8時にクリーニング工場に入り、アイロン・仕上げ・しみ抜きなどに携わった後、夕方から夜12時頃まで居酒屋で仕事。妻の優子さん(53)も朝9時半から午後4時頃まで工場や店で働き、合間に洋服のリフォーム。夕方から12時頃までは居酒屋で料理などに携わります。次男・卓司さん(28)(別世帯、妻と子供1人)は7時に工場に入り、昼過ぎまで洗いや仕上げ。午後は納品や得意先訪問、夜は工場で明日の準備など。三男・聖人さん(25)は朝9時に工場に入って配送や仕入れ、ワイシャツ仕上げなど。夕方から12時頃までは居酒屋で仕込みや調理に携わります。 なぜ家族揃ってこんな超ハードな日々を送ることになったのでしょうか―。 ◆苦しみの始まり 等さんは高級品専門クリーニング会社の社員でしたが、33年前、「自分で納得のいくクリーニングを」 と脱サラを決意。昭和57年、西区堀江の自宅マンションを拠点に、優子さんと夫婦で独立開業しました。10年ほどは 「とんとん拍子」 でしたが、安さを前面に出したチェーン店の影響もあり、徐々に景気が悪くなっていきました。 平成7年、弁天に工場兼自宅を持ちました。当初は西区のマンションと店舗を売り、頭金にするつもりでしたが、マンションは売れても店舗は売れず、やむなく堀江店はそのまま続けることになったのです。つまり土地・建物・機械のローンが二重になり、これが苦しみの始まりとなりました。 ◆さらに投資重ねる それでも 「息子が家業を継ぐと言ってくれた」 のを励みに、さらに投資を重ねました。堀江店に多額の改装費を投じ、その分売上を増やさなくてはならず、1年後には国金から多額を借り入れて磯路2丁目にも店(クリーニングベスト)を出しました。そうして10年ほど頑張り、平成19年、売り値は安かったものの堀江店を手放しました。 一方、優子さんは堀江店の頃から裁縫の腕を生かして洋服リフォームもしていましたが、丁寧な仕事ぶりに、港区へ来てからも注文が切れなかったそうです。 ◆いそじ屋オープン 平成20年2月には磯路に居酒屋 「いそじ屋」 を開業しました。「少しでも借金を減らそう」 「そのために空いている夜の時間を活かそう」 と話し合った結果でした。簡単な肴程度で始めましたが、常連客の要望に応えるうちに 「本格的な料理を」 ということになり、クリーニング一筋で生きてきた等さんも一緒に頑張りました。 1年後にはランチも開始。家族が玄米食で健康を維持していたこともあり、「これを皆さ んにも」 と優子さんがプロから玄米の炊き方を教わり、一汁三菜の日替わり定食を出したのです。これは人気を呼び、「毎日通うお客さんが何人も」 いました。 ランチを始めてからリフォームを休みましたが、「いつからやってくれるの?」 との声が相次いだので、今年2月にはリフォームを再開、ランチを休みしました。が、今度は玄米定食ファンから 「いつ再開するの?」 と突(つつ)かれているそうです。 ◆全員が国家資格 ◆チームシラハマとして |
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