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「届け被災地へ!」。3月11日に東北・関東の太平洋沿岸部一帯を襲った巨大地震と巨大津波が原発事故を含む前代未聞の被害をもたらす中、全国と同様、港区でも熱い支援活動が続けられています。被災地の苦境に心を寄せながら、「苦しい時こそ助け合いを」 「何か出来る事を」 「頑張れ東日本!」 と大人も子供も、個人も団体も、官も民も、心一つに展開される義援金呼びかけなどの活動。そのごく一部を紹介します。
★商店街で店内で ★諸団体・施設で 港中学校では3月15〜24日の登校時に生徒会役員が支援活動。18日には会長、副会長ら7人が 「協力お願いしま〜す」 と声を上げました。会長らは 「役員の一人から提案があり、『ちょっとでも被災地の助けに』 と始めました。通行人の方に入れて頂いた時は私たちの声が届いたのかと嬉しくなりました」 と話していました。 市岡中学校では3月17〜24日の登校時に生徒会役員が支援活動。22日には横山愛咲美(あさみ)会長、尾原葵(おはらあおい)副会長、朝田麻友(まゆ)会計ら4人が 「義援金お願いしま〜す」 と声を上げました。横山会長らは 「道行くおばさんから 『頑張って』 と声をかけてもらい、もっと頑張ろうという気になりました」 「食料や薬が早く被災地に届いてほしい」 「原発事故の報道で周辺の人たちが影響や差別を受けるのが心配」 などと話していました。 港南中学校では3月17〜23日の登校時に生徒会役員が支援活動。23日には中野月夜(つきよ)会長、北島広夢(ひろむ)副会長ら6人が 「震災の救済お願いしま〜す」 と声を上げました。お金を入れた村上幸太郎君は 「テレビはあまり観みないので親の話から想像するしかありませんが、被災地の本当の様子がよく分からずとても心配です」。中野会長らは 「食料不足や原発の放射能、家や町の復旧、避難所生活がいつまで続くのかなどが気になります」 「東京で避難所生活をした父が、被災地の人たちはもっと悲惨やろと心配していました」 などと話していました。 磯路小学校では3月23、24日の登校時に児童会当番が支援活動。24日には5年生2人、4年生2人が 「東日本大震災の募金にご協力お願いしま〜す」 と声を上げました。当番児童は 「いっぱいお金を入れてくれて嬉しかった」 「人がたくさん亡くなられて可哀想」 「津波はとても怖いと思った」。前田都陽子(とよこ)校長は 「児童と先生が 『何か出来ることを』 『防災学習で学んだことを生かそう』 と相談して始めました」 と話していました。募金額は2万2千70円にのぼり、港区役所を通じて被災地へ届けられました。 ◇ 遠隔の被災地に思いを寄せながら、区内各地でなお続けられる支援活動。被災住民の忍耐強さや優しさ、賢さ、謙虚さ、協調性や規律性が国内外の驚嘆と称賛を呼んでいますが、港区民の優しさ、熱さもまた感動的です。歴史的な救国運動はまだ続きます。 がんばれ東日本! がんばれ港区民! 2011年4月15日(140号) |
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