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現地で支援したお父さんが撮った写真を見て、僕たちも何かしなければと思ったと生徒会で義援金募金活動に取り組む中学生。「戦後の焼け野原から立ち上がった港区民のパワーを被災地へ!」 と募金活動を続ける高齢者。今なお深刻な東日本大震災被災地の状況に、世代それぞれの思いを注ぎながら、港区でも継続的な支援活動が行なわれています。そのごく一部を前号に続いて紹介します。
◆父親の支援活動から ◆港の真心とパワーを こうした支援活動や大震災について、区内のある90代高齢者は次のように語ってくれました。 「あの戦争で自分は海軍で南方へ派遣され、何度も船を沈められたが生き延びた。帰国して空襲にも遭ったが、奇跡的に助かった。結局は国のため身を粉にして働いた一般国民や、最前線で戦った自分らのような兵隊が大勢亡くなり、自分たちの利益のために中国やアメリカとの戦争へ突き進んだ資本家や天皇やその取り巻きは、今度はアメリカに守られて、また権力の椅子に座った。 今度の大震災でも、国のため地域のために一生懸命働いてきた農民や漁民や労働者が一番の犠牲者で、規制緩和や原発建設を進めて被害を大きくしたアメリカや財界や歴代政治家は、責任を東電や役人に押し付け、自分たちは安全なところからの追及や政争ばかりやっている。復興特需にありつこうと虎視眈々の連中もいる。 大本営発表が国民に真実を知らせなかったのと同じく、今はホワイトハウスやペンタゴンが圧力となって政府やマスコミに真実を語らせず、原発災害でもあとからあとから事実の追加や訂正が出てくる。東電の隠ぺい体質とかいう問題ではない。 自分は戦後、港湾労働者として家族を養ってきたが、宮城や岩手へ回った事もあり、壊滅した港や街を見ると胸が塞がる思いだ。 港区の復興も見てきた。津波や高潮から区民を守るため、焼け野原になったのを逆手にとって、皆が利害を越えて協力し、全面地上げという世界にも自慢できる大事業をやり遂げた。 この前の港新聞を見て、自分たちの生活も苦しいのに支援を続ける港区民は偉いと思った。自分もわずかだが、年金生活からカンパしている。こうした庶民の気持ちと知恵と力を集めれば、東北の復興も、日本の復興も、必ずできると思う」。 ◇ 遠隔の被災地に思いを寄せながら、区内各地でなお続けられる支援活動の数々。悲しみの中から復興に立ち上がる被災地住民・勤労者の不屈の姿勢が共感を呼んでいますが、港区民の熱さ、優しさと行動力もまた感動的です。 歴史的な救国運動はまだ続きます。 2011年6月15日(142号) |
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