「♪君の行く道は果てしなく遠い―」(昭和41年『若者たち』)。いつの時代にも若者は世の希望であり、地域の宝です。どんな暗い世相でも、純粋な心とまっすぐな行動で人々を励ましてきました。今、先の見通せない平成不況の只中で、世のため地域のため、家族のため自分のために何が出来るのかを探りつつ、懸命に生きる港区の若者たちを追いました。シリーズ第1回は、楽で綺麗な仕事ではなく、敢えてきつい現場仕事へ飛び込んだ一人の青年にスポットを当てました。
解体業に情熱燃やす 佐久間竜也さん(24)(八幡屋) |
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段取りや仲間との連携に喜びを感じながら解体業に情熱を燃やす佐久間竜也さん(右から2人目)=7月25日、此花区春日出の現場で |
バリバリ、メリメリ―。屋根を、壁を、柱を、ユンボ(油圧ショベル)が次々と潰し、廃材と瓦礫の山が築かれていきます。その傍で、安全帽をかぶり、バールを持った若者二人がユンボを補佐するように動きます(これを業界用語で 「手元」 といいます)。焼けつくような日差しの中、シートに囲まれた十数四方の空間に土埃が舞い上がります。7月25日の朝、此花区の一角にある解体現場。元は古いアパートでした。ユンボが入って3日目。あと数日で更地になり、建設業者に引き継がれるのです。現場を任されているのは佐久間竜也さん。総合解体請負業 「道建」(夕凪2)の従業員です。この日はもう一人の青年とユンボの手元も務めました。3K(きつい・汚い・危険)を絵に描かいたようなこの業界で既に5年。安全帽に安全靴、独特の裾広がりズボンも体に馴染み、顔の汗が労働の喜びに光っていました。
◆19歳の決断
佐久間さんは港区田中生まれの24四歳。田中小、港南中を経て高校卒業後、車が好きなことから地元の自動車整備会社に就職。10カ月ほど働きましたが、「中の仕事は俺に向いてない」 「現場の仕事がしたい」 と退社。親方の息子が声をかけてくれたことから 「道建」 で働くことになりました。18歳での決断でした。
道建での仕事は朝8時から夕方5時まで。現場は市内を中心に京阪神などのマンションやアパート。一現場の工期は数日から1カ月。作業は主に、@足場を組んでシートで囲う A内部のゴミや家具や内装をバラして運び出す Bユンボを敷地に入れる Cユンボと手元で建物を解体する D廃材をトラックで運び出す Eシートと足場を外す F更地にする―という手順で行います。
◆生活習慣変えながら
こうした仕事を佐久間さんは親方から 「見て覚えろ」 「体で覚えろ」 と教えられ、親方や先輩の仕事ぶりから段取りや作業のコツを一つ一つ覚えていきました。
また現場仕事は朝早いのが特徴。毎朝5時半に起床、朝食を済ませて6時半には仲間と顔を合わせ、8時には現場に入らねばなりません。そのため夜も8時には床に就きます。最初はその変化が辛く、遅刻もしましたが、仕事に合わせて生活習慣を変えていきました。
また外の仕事だけに、雨や風、暑さや寒さが応え、特に 「冬の雨ふりは最悪」。さらに解体途中の建物や大型機械に囲まれての作業は常に危険と隣り合わせ。そのため強い体力と共に細心の注意、それにユンボ運転手ら同僚と呼吸を合わせることも欠かせません。
◆ボーシン≠ニして
そんな厳しさの中でも、仲間とうまく息が合った時の快感、段取り通り仕事が進んだ時の満足感、皆で力を合わせて一つの現場をやり終えた後の充実感は 「何物にも代えられん」 と佐久間さん。特に困難な現場をやり終えた後の満足感は格別で、今では 「難しい現場ほど燃える」 とか。
道建には現在、4人が在籍し、バイトも入りますが、この中で佐久間さんはボーシン=i「グループのリーダー」を意味する業界用語)として一つの現場を任されるようになったのです。
◆少数精鋭に応えて
そんな佐久間さんに親方の道脇太志さん(40)は次のように期待を語ってくれました。
「不景気の今、うちのような規模の所はやりくりが大変。一時的に仕事が増えても人は増やせず、少数精鋭で頑張ってもらうしかない。人材が命や。その中で佐久間君はよく頑張ってくれている。5年前からここで働いているが、仕事熱心な上にセンスがよく、覚えが早く、一度言ったら次には出来ていた。1年ちょっとで一つの現場を任せられるようになった。
この仕事で難しいのは、建物の違い、周囲の違いに応じて段取りを変えねばならんこと。例えば周囲に空き地がないマンションなどの場合、外から潰していけないので、まずユンボをレッカーで屋上へ上げ、潰しながら降りていく。これはかなりの危険を伴うが、経験と勘で進めるほかない。また苦情が出ないよう近隣対策には非常に気を遣う。これをしっかりやらんと、あとの建設の人たちがその苦情を引き継ぐことになる。その一方で、解体が終わって更地にした時の快感、満足感は何とも言えない。
そんな業界に自分も15歳から身を置き、その経験から、従業員には 『任せて責任を持たせる』 主義でやってきた。佐久間君はそれによく応えてくれた。
今後はとにかく安全第一で、無理せず、背伸びせず、うちの息子ら若手をリードしながら頑張ってほしい。そして2年後には独立して親方になれと言っている」。
◆家庭をエネルギーに
親方のそんな期待の中、佐久間さんは昨年2月に結婚。「高い所から落ちないかと心配です」 と夫の安全を何より気にかける同い年の妻・澄依(きよい)さんの愛情、今年3月に誕生した長男・彪牙(ひゅうが)君の可愛らしさ、そして一家の主(あるじ)としての責任感をエネルギーに、今は新居のある八幡屋から現場へと通う毎日です。
地域では 「自分も楽しかったから」 「地域の伝統行事が続いてほしいから」 と地元・三津神社の夏祭りの太鼓指導も続ける佐久間さん。その若さと純粋さ、何より現場仕事への誇りと情熱で、世のため地域のため、自分のため家族のためにますます輝き続けてほしい―そう願わずにおれません。
2011年8月15日(144号)