「♪空にまた陽ひが昇る時 若者はまた歩き始める―」(昭和41年『若者たち』)。いつの時代にも若者は世の希望であり地域の宝です。どんな暗い世相でも純粋な心とまっすぐな行動で人々を励ましてきました。今、先の見通せない平成不況の只中で、世のため地域のため、家族のため自分のために何が出来るのかを探りつつ、懸命に生きる港区の若者たちを追いました。シリーズ第3回は、「亡き親父の味を守り抜くぞ!」 と焼き鳥店経営に情熱を燃やす一人の青年にスポットを当てました。
「いらっしゃい!」 「まいど〜」。午後5時半の開店と同時に暖簾を潜るお客さんを元気よく迎えるのは津田幸樹(こうき)さん(21)。焼き鳥店 「津〜ちゃん」(磯路3-1-1)の2代目店主です。慣れた手つきで朝引きの若鶏肉を炭火でじっくり焼き上げ、自家製のタレを付けて提供します。手羽先、きも、こころ、ずり、かわ、なんこつ。塩で味わう一品や、もつ焼き、鍋物、ご飯物、造りなども人気です。カウンターで、テーブル席で、会話が弾(はず)み、秋の夜が冷え込むにつれ店内は逆に熱気ムンムン。お客さんの冗談にギャグで応じながらも幸樹さんの腕は休まることがありません。
◆2代目の責任感
午後11時半がラストオーダーですが、店じまいは1時頃。それから片付けをし、風呂や食事を済ませて寝るのは2時から3時。それでも翌日は午前中に前日の売上計算や店の掃除などを済ませ、午後には材料仕入れ、3時頃から仕込みにかかります。「この作業の丁寧さが味を左右するんです」と鶏や野菜の串刺しを黙々と続ける幸樹さん。その横顔に2代目としての責任感がにじんでいました。
◆人柄が客を呼んだ父
幸樹さんの父・充一(じゅういち)さんは高校を卒業して酒屋に就職。独立めざして働きましたが出店規制などで断念。20代後半に磯路の三社神社近くで焼き鳥店を開き、4年後の昭和60年、阪神タイガースが優勝した10月17日に現在地でオープンしました。鶏の焼き加減・塩加減やタレの味はもちろん、焼きおにぎりなどにも手を抜かない調理姿勢、気配りの届いた温かい人柄が誰からも愛され、特に焼きながらの絶妙の返し(冗談)は名人芸と言われました。
◆命かけた店潰すまい
そんな充一さんでしたが、無理が祟(たた)り、気付いた時には肺癌に蝕まれていました。亡くなったのは幸樹さんが高2の時。52歳でした。亡くなる少し前には 「店は閉めてくれ。俺一代でええ」 と言っていましたが、親族は営業日時を調整しながら店を続けました。その後、幸樹さんは 「教師になりたい」 と大学へ進みましたが、親族が店を守る様子を見ているうち、「親父が命をかけた店を潰(つぶ)したくない!」 との思いが募り、遂には教師の夢を捨て、後継ぎを決意したのです。18歳での決断でした。
◆“チーム津〜ちゃん”
とはいえ、それまで 「野球ばっかりしてほとんど手伝わなかった」 という幸樹さんにとっては何もかもが初めて。特に肉の焼き方でどうしたら 「親父のように、焦がさず旨みを逃がさず焼き上げられるのか」 と試行錯誤を繰り返しました。お客さんとの会話でも 「自分では物足りなく感じられているのでは」 と悩みました。そんな幸樹さんを支えたのが親族でした。
特に伯母(父の姉)の芦塚加奈江さん(59)は料理や飲物の提供、勘定などを一手に引き受けてくれました。従妹(加奈江さんの娘)の奈保さんは家事・育児の合間に仕込みを手伝ってくれ、父をよく手伝っていた兄の一也さん(23)は大学での勉学の合間にパソコンでのメニュー作りなどで応援してくれました。加奈江さんの息子・民則さんはソムリエの職を生かして料理の出し方や接客の心構えについて高度な助言をしてくれ、加奈江さんの夫・保則さんは日曜大工の腕を生かして店の修理や改装に汗を流してくれました。こうした結束はまさに “チーム津〜ちゃん” でした。
◆外からの応援も強力
見落とせないのが取引先の協力でした。中でも主材料である鶏肉は、父の代から30年の付き合いという夕凪のかしわ専門店 「鳥やす」 の店主夫婦が、父亡き後も毎日、「朝引き(絞め殺し)した一番いい若鶏をその日に捌いて」 提供し続けてくれました。父の店を長く手伝っていた女性は帰郷先の九州から電話で、秘伝のタレの製法を余す所なく伝えてくれました。さらに父の代からの常連客は、「皮の塩加減」 や 「炭のいじり方」 について 「親父さんはこうやってたで」 などと助言してくれました。
◆値段より味で勝負!
こうした内と外からの支えで一歩一歩力を貯えてきた幸樹さんですが、自分では味も接客もまだ 「親父の半分にも届いてない」 と思っています。
そんな中で今、何より意識しているのは、父の代からの 「味で勝負!」 のキャッチフレーズ。「値段ではチェーン店に勝てない」 ので 「美味しく楽しく過ごしてもらい、気持ち良く帰ってもらうこと。儲(もう)けよりも喜ばれる店であること」 をめざしています。またマンネリを避け、客層を広げるため、メニューを増やしたり、「指定ドリンクは何杯飲んでも一杯300円」 などの “イベントデー” を設けたりの工夫もしています。
◆幸ちゃんの店に
そんな幸樹さんへの期待を、加奈江さんはこう語ります。「お客さんの親身のアドバイスもあり、3年経って “幸ちゃんの味” を作れてきました。幸ちゃんとの会話を楽しみに来るお客さんも生まれ、今ではそちらの方が多いくらい。今後は売上目標を立てるなど計画的な経営を心がけ、幸ちゃんの店として発展させてほしい。ただ、亡くなった弟のことがあるので、健康にだけは注意してほしい」。
また父の代から20年来の常連客である佐藤忠篤さん(62)(自営業)は「継いだ頃は少し味が落ちたようやったが、今は格段に旨くなり、特に炭のいじり方が親父さんに似てきた。これからも腕を磨いて親父さんを超えてほしい」。
そんな期待の中、仕入れ、仕込み、焼き―と二代目の仕事を淡々とこなし、「仕事への英気を養ってくれる」と草野球でも活躍する幸樹さん。その若さと純粋さ、何より「父の味を守り抜く!」という情熱で、世のため地域のため、自分のため家族のためにますます輝き続けてほしい―そう願わずにおれません。
2011年10月15日(146号)