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再編統合で93年の歴史に幕

 「先生と生徒の距離が近い、ええ学校やった」、「校名は消えても区民の心に留(と)めてほしい」、「市商の伝統を新校でも発揮して」……。
  1919(大正8)年から港区で商業の学び舎(や)として歩んできた市岡商業高校(弁天1丁目、井上省三校長)が、市立商業高の再編統合のため、93年の歴史に幕を下ろそうとしています。残り少ない日数を惜しみつつ最後の “市商生活” を送る教師・生徒らの声を訊きました。 

  同校の伝統の一つにOB教師の多さにあります。特にこの最終年度には6人が在籍。思い出が染み込んだ学校との別離に愛惜もひとしおのようです。

あらゆる物が思い出
  その一人、商業科教諭の清水裕美さん(36)は情報会計科に学び、1994年卒、2010年に赴任しました。
 「生徒会活動に明け暮れ、忙しくも充実した3年間でした。当時作った電光掲示板が今も使われ、文化祭の愛称市商祭が最後まで使われました。生徒時代が楽しく、母校で教壇に立つのが夢でしたが、それが叶った上、担当した生徒会で最後の市商祭や応援合戦を一緒にやれ、生徒に感謝、感謝です。発展的統合とはいえ、寂しいの一言。あらゆるものが思い出です。市商で学んだ努力すれば結果は出なくても必ず何かが身に着くということを今後の教壇でも伝えていきたい。

◆教える苦労を今後に
  同じくで商業科教諭の黒田哲也さんは三先在住で港南中出身。商業科に学び、2005年卒、2010年に赴任しました。生徒時代では野球部の思い出が強烈です。3年で団活動(学年別でなく縦割りのグループ活動)の長をやり、放課後に皆が集まらないなど、まとめる苦労はありましたが、やりがいも感じました。教師としてどうすれば学びに集中させられるか、誉めることと叱ることのメリハリをどうつけるかなど、市岡商業での苦労を今後に生かしていきたい。

◆この時間は “宝物”
 
同じくOBで商業科教諭の冨高弘子さんは商業科に学び、1996年卒、2009年に赴任しました。
 「生徒時代には先生が一人一人にきちんと相手してくれたので学校がとても好きになり、自分も教師になろうと決めました。教師生活の中では折々に懐かしい生徒時代がフラッシュバックして、胸がキュンとなる繰り返しでした。OB教師が同時に6人も在籍するのは奇跡的で、この繋(つな)がり、この出会い、この時間は宝物。一生大切に生きていきたい」。

◆生徒と深い関わり
  同じくOBで商業科教諭の駒居智志(としゆき)さんは情報会計科に学び、2001年卒、2005年に赴任しました。
  「生徒時代は市商のゆるきゃら “市商さん” のデビューが印象的でした。教師生活で嬉しかったのは、プログラミングの苦手な男子から最後にプログラミングって面白いなと言われたこと。統合後の新校、(大阪ビジネスフロンティア高校)でも市商時代と同様、生徒との関わりの深い教師でありたい」。

◆野球部経験は永遠に
  同じくOBで商業科教諭の中禮佳孝さんは商業科に学び、1994年卒、2011年に赴任しました。
  「生徒時代、野球部の厳しい練習に恐怖さえ感じましたが、監督の職場である中央卸売市場で仕事の厳しさを体験させてもらったことはその後の大きな財産になりました。母校の野球部監督として部員集めにも苦労しながら夏の大会を経験できた思い出は永遠です。統合で、木々の多い校舎やグラウンドが無くなるのは本当に辛(つら)く寂しい。環境も教育理念も素晴らしく、勉強にクラブに専念できる学校だっただけに……」。

◆素晴らしい出会い
 同じくOBで商業科教諭の大中真太郎さんは情報会計科に学び、2002年卒、2009年に赴任しました。
  「生徒時代には色々な行事が楽しく、素晴らしい先生方と出会えたことが何よりの思い出です。教師生活では体育祭や文化祭などの行事に皆で力を合わせ、前向きに取り組めたことが心に残っています。市岡商業は素晴らしい学校やったなといつまでも区民の心に留めてほしいと願っています」。
 
「師と友に恵まれた」 思い出胸に巣立つ生徒

 一方、市商最後の生徒となった3年生や2年生にも、他校生では味わえない特別な感慨がありました。

最後の市商生活をかみしめながら授業に臨む生徒達

◆頑張ったら出来る!
 その一人、商業科3年の青島瞳さんは市岡中から市商へ進み、大学経営学部めざし勉学に励んでいます。
 「1、2年は勉強も適当にやっていましたが、3年になって学校が好きになりました。親身に私の事を思ってくれる友だちに出会ったからです。先生方からは結果は駄目でも頑張ったことは残ると教わり、苦手の英語にも取り組み、無謀を承知で全商英検一級を受け、一度は落ちましたが再挑戦して合格しました。この経験は、無理かなと思っても頑張ればやれるということを教えてくれ、他の事にも挑戦する意欲を持たせてくれました。統合は寂しいですが、ここで学んだ人と人との関わりの大切さを忘れず、今後に生かしていきたいと思っています」。

◆周りの優しさに感謝
 商業科の岩田彩夏(あやか)さんは港中から市岡商業へ進み、大学教育学部めざして勉学に励んでいます。
 「市岡商業では周りのみんなが本当に優しく、自分のことでもないのに私のことを一生懸命理解しよう努め、精一杯の言葉で返してくれました。親にも言えない悩み事でもこの子らになら話せる、話したい! と思いました。先生方も色々と相談に乗り、励まして下さいました。団活動では活動を重ねるうちに固まっていき、『思い出を作ろう!』 と一体で頑張った体育祭の演舞では、お互いの心の距離が縮まったのを感じました。統合は寂しいですが、前向きに捉えて頑張っていきたいと思っています」。

◆絆強めた野球部活動
 一方、数少ない男子生徒の一人、商業科2年の平田有矢(ゆうや)君は野球部のエースで主将。大学経済学部めざして勉学に励んでいます。
 「野球部では1年の夏の大会で、先輩から 『高校生活は短い。何でも思い切りやれ』 と助言してもらうなどいいコミュニケーションがとれたことが心に残っています。昨夏は9人ギリギリで大会に臨み、敗れましたが絆は強まりました。統合は寂しいですが、市商の伝統を新校に持っていきたい。それが出来るのは僕たちだけですから。市商は先生が一人一人をよく見て下さり、とてもいい環境でした。校長先生が一対一で話して下さった 『一生懸命やれば何でも出来る。結果は出なくてもやったことは必ず返ってくる』 の言葉を大切に、これからも生きていきたいと思っています」。

◆この繋がり新校でも
 商業科2年の藤本将(しょう)君も野球部で二塁手、副主将。高知市の商業高から昨春転入。体育教師めざして大学進学を志望しています。
 「昨秋、平田君と僕が中心になって 『ええもんばっかり市』 を企画し、沖縄物産などを販売しましたが、値段設定など、とても勉強になりました。在籍は一年だけでしたが、統合はやはり寂しいです。新校では男子が多くなり、野球部員が増える楽しみもあります。市商は先生と生徒の関係がとても良かったので、この繋(つな)がりが新校でも続いてほしいと願っています」。

 一人一人の口から出る一言一言が、同校の歴史のキャンバスに最後の絵筆を加えているように思えました。戦火を越えて港の地に学びの灯を点し続けた大阪市立市岡商業高等学校。その足跡は港区民の心に永遠に生き続けるでしょう。
 さよなら、市岡商業!

 
 
 
 
 
 
 
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